アーカイブ 2011 年

第5回秩父宮記念公園を語る「三峰窯」・・・秩父宮記念公園園長

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第5回は、園長清岡正利が、2011年11・12月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

~第5回 三峰窯(みつみねかま)~

秩父宮記念公園には、「三峰窯」と呼ばれる窯があり、秩父宮様をはじめ多くの皇族方や宮様と親しい方などがその窯で陶芸を楽しまれました。

秩父宮雍仁殿下は、母貞明皇后のお誕生日祝いに陶芸家加藤土師萠(はじめ・人間国宝)氏に急須の制作を依頼しました。出来上がった急須をご覧になりご自身でも作陶したいとの思うようになり、加藤氏に窯制作を依頼し、昭和25年に完成しました。その後、加藤氏は宮様の陶芸の先生として作陶指導されました。「三峰窯」はこの地が富士・箱根・愛鷹の「三つの山(峰)」に囲まれた地であることから、秩父宮様ご本人が名付けられました。秩父宮様が昭和28年に薨去されるまで、毎年1回計3年に渡り作陶されました。昭和28年以降数年間「三峰窯」は使われていませんでしたが、勢津子妃殿下、高松宮様、三笠宮様、宮様ゆかりの方々が集まり「陶つくりの会」として、再び「三峰窯」に火が入るようになりました。

「久びさに三峰窯に立つ煙り君もうれしとみそなはすらむ」

その時の勢津子妃殿下の思いが伝わる句です。

現在「三峰窯」は、御殿場市指定文化財として保存公開されています。秩父宮様や勢津子妃殿下の陶芸作品も一部公開しています。生活の中で実際に使用されていた加藤土師萠氏や河井寬次郎氏、濱田庄司氏らの陶器も宮家から御遺贈いただきました。

 ※過去の「秩父宮記念公園を語る」は希望の回をそれぞれクリックしてください。

◆第1回「スポーツの宮様」

◆第2回「秩父宮様と御殿場」

◆第3回「秩父宮農場」

◆第4回「勢津子妃殿下と会津藩」

第4回秩父宮記念公園を語る「勢津子妃殿下と会津藩」・・・秩父宮記念公園園長

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第4回は、園長清岡正利が、2011年9・10月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

~第4回 勢津子妃殿下と会津藩~

勢津子妃殿下は、旧会津藩松平容保(かたもり)の孫です。幕末から明治の激動の時代に翻弄され、「朝敵」とまで言われた旧会津藩松平家から皇室に嫁がれたのです。

松平容保は、江戸時代京都守護職として京都の治安維持を行っていて、孝明天皇から直筆の手紙(宸翰・しんかん)までいただくほど皇室に対して忠誠で信頼が厚いものでした。しかし、慶應2年36歳の若さで孝明天皇が崩御されると、立場は一転、「朝敵」とされ、あの戊辰戦争で慶應4年9月、鶴ヶ城(会津若松市)での1ヶ月の攻防戦後、白旗を掲げ開城しました。容保は家臣と別れを告げ謹慎の身となり、このときから会津藩は苦難と屈辱の日々が始まったのです。

時は過ぎ、昭和3年、容保の孫、勢津子妃殿下が秩父宮雍仁親王妃として皇室に嫁がれました。このご成婚は、旧会津藩の復権につながり、会津の方はたいへん感激され喜ばれたものでした。「勢津子」妃殿下のお名前は、元々「松平節子(せつこ)」でしたが、秩父宮殿下の母貞明皇后のお名前が「節子(さだこ)」であり同字を避けるため、皇室ゆかりの「伊勢」と「会津」から一文字取って「勢津子」と改称されました。このお名前からも「会津」への思いが伝わってきます。

追記

旧会津藩で現在の福島県会津若松市は、勢津子妃殿下とたいへんゆかりのあるところです。

リニューアルされた鶴ヶ城をはじめ、妃殿下がお泊りになり、命名までされた「重陽閣」のある御薬園など、魅力満載です。3月の地震以降、原発事故の風評被害で観光客が減少しています。原発からは100km離れているため影響は全くないそうです。ぜひ、訪れてみてはいかがですか? こちらをクリック⇒会津若松の観光PRホームページ

会津若松市観光PRのご案内

秩父宮勢津子妃殿下と旧会津藩(現在の福島県会津若松市)とは、とても深い関係があります。

妃殿下ゆかりの地を訪れてみてはいかがですか?詳しくは下記をご覧ください。

*あいづ観光情報館(会津若松市HP) http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/kanko/index_kankojoho.html

*(財)会津若松市観光公社 http://www.tsurugajo.com/

*会津若松観光物産協会 http://www.aizukanko.com/

また、秩父宮記念公園では、会津若松市の観光PRブースを設置しました。

第3回秩父宮記念公園を語る「秩父宮農場」・・・秩父宮記念公園園長

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第3回は、園長清岡正利が、2011年7・8月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

~第3回 秩父宮農場~

戦後、御殿場での生活の中で、秩父宮様が理想にしていたのは、英国の「カントリーライフ」でした。戦争中から野菜は栽培していましたが、もっと意欲的に規模を広げて農場を発展させて、戦後食糧難の折、食料だけでも自給自足できるようにしたいという思いでした。御殿場御別邸(現在の秩父宮記念公園)内を開墾し、500坪ほどの農園が誕生しました。さつまいも、じゃがいも、そば、かぼちゃ、とうもろこし、小麦や水田ではなく畑でつくる稲(陸稲)まで作って収穫できるようになりました。また、養鶏はもちろんのこと、ヒツジやヤギ、一時はブタも飼い、後には乳牛まで飼育されました。秩父宮家は一農家として、収穫されたさつまいもや小麦を供出(政府に売り渡すこと)していました。割り当てられた量はわずかでしたが、良い物を作って供出したいというのが秩父宮殿下のお考えで、「秩父宮農場」とまで言われるようになりました。また、農業を通じて地元の方々と親しくなれたこともたいへんうれしかったそうです。

追記

秩父宮記念公園に来られた方は、不思議に思ったかも?記念館母屋の床下にあるトロッコ。

このトロッコは1つが4段の重ね箱になっていて、収穫した作物を日中は干して乾燥させ、夜は重ねて床下へ、秩父宮殿下のアイディアで作られた「農作物の保存箱」です。ご来園の際は、ぜひご覧ください。初めての方が一緒なら、ミニ知識として披露してみてはいかがですか?

 

第1回掲載はこちらから→http://info.chichibunomiya.jp/archives/2723

第2回掲載はこちらから→http://info.chichibunomiya.jp/archives/2749

茶器を探しています

写真(⇒陶器のうつわ)の茶器を見つけた方は、すぐに下記までご連絡ください。

◎電話 0550-82-5110

◎メールgsk@chichibunomiya.jp

*直径9.8cm 高さ8.6cm 重さ450g ウサギをモチーフにした台座が特徴

第2回秩父宮記念公園を語る『秩父宮様と御殿場』・・・秩父宮記念公園園長

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第2回は、園長清岡正利が、2011年1・2月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

 

「秩父宮様と御殿場」

 

秩父宮記念公園は、昭和天皇の弟秩父宮雍仁親王殿下と勢津子妃殿下が昭和16年から約10年間実際にお住いになっていた場所です。なぜ、御殿場でお暮らしになったのでしょう?

 

御殿場とのつながりは、妃殿下の少女時代に遡ります。女子学習院初等科時代に生涯の友となる白洲正子さん(旧姓:樺山)と出会い、例年夏に樺山家の別荘があった御殿場で2週間ほど正子さんと過していました。(樺山家の別荘は、現在の御殿場市立西中学校にあり、西中の校庭には「樺山の池」と名付けられた池があります。)妃殿下は、小さいころから御殿場の風土を肌で感じていました。

 

昭和3年9月28日、殿下(当時26歳)と妃殿下(当時19歳)は結婚され、昭和14年結核予防会が設立、勢津子妃殿下が総裁になられました。しかし何の因果かその翌年、殿下は結核に感染されてしまいました。医師団は、「一般全身療法」という、きれいな大気の場所で安静し、栄養をとって体力をつける治療法を選択され、昭和16年、当時神奈川県の葉山でご療養されていましたが、海辺より湿気の少ない山間部がよいということで、勢津子妃殿下が幼少より親しんだ、御殿場をその地に選ばれました。皆さんもご存じのとおりこの御殿場は、湿気は少ないわけではないのですが、空気が澄み、冬は寒いが夏は涼しいこと、また東京から日帰りできることなどが理由でした。当初は、間取りも知っていて、広い庭、南向きでもある、樺山家が手放す予定だった思い出の別荘をご静養の地に考えられたようですが、屋外にでないと富士山は見えないため、井上準之助氏が所有していた現在の記念館となっているこの場所を選ばれました。病床からでも1日中富士山を眺められる所でご療養していただきたいという妃殿下の強い思いもありました。その部屋が現在の「西の間」です。それから約10年間、この御殿場でお暮らしになっていました。その間、殿下は体調も良くなり、畑仕事や近隣住民との交流も楽しまれていました。

 

現在、ここで働いているスタッフの中には御殿場市立西中学校卒業生もいます。年代は違いますが、樺山家の大きな別荘があったことは知っていました。私も西中の卒業生です・・・

 

第1回「秩父宮記念公園を語る」・・・秩父宮記念公園園長

「秩父宮記念公園を語る」は、この公園についてつづったものです。第1回は、園長清岡正利が、2010年9・10月号御殿場市公共施設情報誌「GSK news」に連載したものです。

 

秩父宮記念公園は、秩父宮雍仁親王殿下と勢津子妃殿下が昭和16年から約10年間お住いになっていた所を、記念公園として整備し、平成15年から開園しました。「秩父宮様」のお名前は、皆様もお聞きになったことがあるでしょう。「スポーツの宮様」で有名で、東京にある「秩父宮ラグビー場」も宮様のお名前がついています。昭和22年に「東京ラグビー場」として完成し、日本ラグビー協会総裁だった宮様が昭和28年御逝去後、「秩父宮ラグビー場」と改名されました。スポーツ大会には「秩父宮賜杯」とつけられている大会が多く、御殿場市でも毎年8月に行われる「秩父宮記念富士登山駅伝大会」でも、優勝チームには「秩父宮賜杯」が送られます。この公園には展示室も併設されていて、宮様を偲ぶスポーツ関係の御遺贈品も多く展示しています。

私事ですが学生の頃、「秩父宮賜杯全日本バレーボール大学男子選手権大会」に出場したことがあり、現在この場にいることに感慨深い思いです。